4.雪と暮らしの関わり

 このように、新潟県とくに上越地域にはベラボーに雪が降ります。中でも上越地域の山間部に生活する人々の冬の生活は、昔から雪の影響を多大に受けていました。11月の後半から翌年4月までの約5ヶ月間にわたり雪に閉ざされた生活を余儀なくされてきたのです。そして、短い無雪期間を次の冬の準備に追われるという雪との戦いを繰り返してきました。かつて山間部の冬の暮らしは、次のような越冬準備から始まりました。
  
冬期間の暖房や煮炊き用の薪寄せ、漬物の仕込み、野菜貯蔵を行う
二軒張りの敷居に新たに柱を立て、戸障子が自由に開けたてできるようにする
シンモリ(浸漏り)のないように屋根の修復をする
家から土蔵まで仮廊下を作り、小さな窓にヨシ簀を張る
トタン屋根、瓦屋根には丸太でナゼ(雪崩)除けをする

 以上、現在の住宅事情と違って冬に備える支度も重労働だったことがうかがえます。当地方では、一般的に雪降ろしを「雪堀り」と呼び、2〜3尺積もると実施し、山間部だと平年でも5回以上の雪下ろしを行います。昔の道具はコスキ(クシキ)でしたが、大正の半ば以降シャベル(スコップ)が登場、雪ドヨ(トイ)の使用は戦後だいぶ経過してからとなります。今も山間部の家々では、川水を引き込んだタネと呼ばれる消雪池を見ることができます。タネは「雪消ヤシ」とも言い、流水により一晩経つと屋根から落とした雪は目立ってカサを減らし、家周りの除雪に大きな威力を発揮します。

 米単作地帯の本県は豪雪という厳しい自然条件から、古くから出稼ぎの風習がありました。現在はその数を減らし、土建工事とか工場就労が目立つようになっていますが、以前は酒造、米屋、炭屋、車夫、紺屋、そば屋、風呂屋、等の諸職があり出稼ぎ先は圧倒的に東京方面が中心でした。このため、出稼ぎのことを「江戸行き」と呼ぶ地方もありました。

 大正時代の農商務省『副業的季節移動労働者の概況』によると、本県出稼ぎ者は全国でもっとも多い4万3千人を占めていました。除雪やスキー場などの冬期雇用が確保され、道路交通も夏季と変わらない現在では、こうした農閑期出稼ぎも少なくなっています。

 このほか、冬の生活に関係のある風習として、「道踏み」「雪割り」などの共同作業がありました。道踏みは、雪が積もった朝の日課としてカンジキやスカリ、踏み俵を履いて隣の家まで雪を踏む、また、隣地区までの間を通学路や消防施設周辺を共同で道つけし、終わると輪番順を記した板を次へ回すというものです。雪割りは、数ヶ月の間踏まれて堅くなった雪を春になって一斉に除雪する作業です。除雪が完備している現在では、こうした風習もほとんど見ることはできません。

 一方、雪は邪魔者であるばかりでは有りません。春の雪解けによる豊富な水は田畑を潤し、この地方の農家にとって、稲作に欠くことのできない農業用水を供給する天然のダムになっています。高田測候所の観測による過去30年間の年平均降水量は2948.2mmで、他の国内の諸都市と比較しても著しく多い数値を示しています。

ちなみに、赤道直下のシンガポールで2282mm、アマゾン川河口のペレンで2770mm、中央アフリカ西岸リーブルビルで3120mmとなっており雨の多い熱帯でも高田より多雨の地域はそれほど多くないことがわかります。降水量の多くが雪によってもたらされていることを考えると日本の穀倉地帯を支える水の源は、雪という天からの大切な贈り物といえます。

 よきにつけ悪しきにつけ、雪は上越地方に住む人々の生活に密接に関わっています。また、雪とのかかわり合いの中ではぐくまれた助け合いの心、思いやりの心、辛抱強い気質などが、現在もこの地域の人々に受け継がれています。


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