2.克雪の歩み

  「凡そ(およそ)日本国中において第一雪の深き国は越後なりと古昔も今も人のいふ事なり」。雪国の生活ぶりを著した江戸期の名著『北越雪譜』の中で鈴木牧之は書いています。かつて雪国の生活は、食料や燃料を貯蔵してひと冬を堪え忍ぶ、いわば冬ごもりに近い状態であり、雪を受容するにとどまっていました。日本一の雪国であることには、今も変化はありません。しかし、人々の生活は、時代の変遷とともに着実に姿を変えて現在に至っています。

 こうした冬ごもりの生活が解消されるようになるのは、戦後の高度成長期以降のことで、雪寒道路法(1957年)にともなう国の予算措置によって、道路除雪が本格的に始まって以降のことになります。とくに「38豪雪」(1963年)を契機として、冬期道路交通確保の重要性が再認識され、経済活動の進展に見合った克雪対策が強力に進められるようになりました。

 例えば、北陸地方建設局が保有する除雪機械台数は、1960年にはわずか7台に過ぎませんでしたが、1989年には363台へと飛躍的に伸びています。これに加え、除雪機械の能力向上や道路改良の進展が除雪作業の能率を高める結果となりました。冬期間でも夏場と変わりない日常活動を可能とし、雪が降ると当たり前のように各地で交通が途絶する状況が解消されました。現在では幹線道路に関してはほぼ無雪化が図られています。

 機械除雪と並んで大きな役割を果たしたのが、消雪パイプと流雪溝でした。消雪パイプは1961年長岡市で初めて敷設され、38豪雪の際に大いに威力を発揮して注目されました。その後全国へ普及した消雪パイプですが、地下水の大量くみ上げにともなう地盤沈下の問題を抱え、地下水依存の消雪システム自体が今や転機を迎えているとみることができます。

 一方、流雪溝は1〜2℃以上の豊富な水量と、ある程度の勾配と流速が確保できれば大きな排雪効果が期待できます。妙高市は地形的な条件に恵まれていることも手伝って、市街地に網の目のように流雪溝が行き渡り、全国的にも先進地として知られています。また、上越市では機械力や地下水に依存する雪対策からの脱却を目指し、新たな流雪溝網の面的整備が図られています。

 今後の課題として、住民の生活に深く関わる屋根雪処理や生活道路、歩道の無雪化への取り組みが必要となり、「スノートピア」事業に代表される快適な住環境づくりに大きな期待が寄せられています。


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